お天気の良い早朝にお詣りに伺うのは気持ちの良いものです。同じ午前中でも早朝だと空気が凛と澄んでおり、神域も清々しきものです。その中でお詣りをしていると、神々様のいらっしゃいますところとつながりやすくなるのかしら…とも思えなくもないものです。
神々様はお側にいらっしゃるのですが、そのお姿はなかなか拝見できませんね。しかしそのシグナルは意外とあちこちに出ている時があるものです。神域に伸びている木々や葉や花や水や。そうしたものがシグナルを見せてくれることがあります。
周りに風がないのに、葉がクルクルと一枚だけ回転し主張をしている時。森林の木々も同じように風もないのに、一ケ所だけ揺れていたり、花も水も同じように見せてくることもあります。
またお社でお詣りをしている時に、温かな風が自身を覆うように吹いてきたり、手を合わせ目を閉じているのに、まぶしくて仕方がないなど。そのような時は神々様がお側でご覧になり、お気持ちを教えてくださっています。「よく来たね、頑張りなさい」と。
神域で出会う動物もその使者であったりします。先日とある神社へお詣りへ行きました時にもエゾリスにじっと見られ、お辞儀をしてもややしばらくじっとしてから、ささっと動いてどこかへいってしまいました。鳥もそうして来る時があります。また妙に音が無くなることもあるものです。
見えない私どもに、何かしらのシグナルを寄越され、がんばりなさいとお声を掛けてくださっているのです。とてもありがたいことだと心が震える瞬間です。
その逆に逢魔が時などに神域へ入ると、まるで違う気配が漂う時もあります。そのような時は出直しましょう。また神社などはよほどのことがない限り午前中や昼間の3時くらいまでに伺うのが良いでしょうね。清らかなところでも時空が乱れれば邪な気配も漂うものです。なぜかというとそうしたものも清らかな気が力になるからです。
ある時その日はなぜか神社へお詣りへ行きたいと目覚めた時から思い、家のことを済ませ外出をすると、玄関の前に鳶が止まっていたり、車で進んでいく時も鳶が幾度も近寄ってきたりと面白い日がありました。そのような日には神域に入るや否や、言葉にならない思いで心が震え涙がこぼれてしまうことがあります。
またそうした日に限らずお詣りした日は必ずお神籤を引きます。その時お願い事をした内容や自分に向けてのメッセージを必ずお返事のようにいただけます。なんとも心底不思議なくらいにぴったりなものなのです。
心を素直にしてみると、神々様のお声はなにかの形となりシグナルとなって見せていただけます。それを見つけ感じ取れるように、自身の感受性を磨いていきたいものですね。