肉体との境界
魂を説明するうえで、肉体を軸に話をしなければ理解ができないと思います。まず肉体の感覚は五感であるということ。では魂はそれらの感覚とは別の知覚を有していると言えるでしょう。
五感とは「触覚(触れる)、味覚(舌で味わう)、視覚(見る)、聴覚(聞く)、嗅覚(嗅ぐ)」の五つです。
さらにそれらを統合する機関が「脳」であり、それによって反応するものが「感情」と呼ばれるものです。肉体は五感で外界の情報を感じ、それらそれぞれにほぼ自動的に反応します。
そうなると生命活動に混乱が生じるために脳で制御し、精査されて抑えつけられた五感からの情報が「ストレス」などと呼ばれ、感情として表現されていくのだと思えばいいかもしれません。
魂を見つける
それでは魂を見つけるにはどうしたらいいのでしょう?
さきほどお伝えした感覚(五感、脳、感情)しか私たちは持っていないわけです。
それならばそのどれかから繋がれば良いことになります。それは「感情」となります。しかし気を付けなければいけないのは、感情のほとんどは「五感の刺激や脳の制御によって出てくる余剰反応」であるということです。その点にまず気付かなければいけません。
だからこそ僧や山伏が厳しい修行をしたわけです。そうしないと魂の感覚と、肉体の反応としての感情を分けて感じることができないからなのです。仏陀はヴィパッサナー瞑想という、観察を軸にした瞑想で自身の魂の使命を見つけたと言われています。
魂の感覚
魂の感覚をもし察知できたとしたら、とても微細であることに気付くでしょう。肉体の感覚は「目的意識」に根付いています。それは生命活動を継続させるという「生きる」ことに向っているため、実のところシンプルなのです。
一方魂の感覚は「自由」であることを軸としています。
守るべき肉体がありませんから、傷付くこともほとんどありません。そして個々によりとてもユニークな形でもあります。大きさもそれぞれ違いますし、出来事に対しての反応もそれぞれ違います。
ただ唯一絶対に同じなのは「自分であること」だけです。
自分であることを愛し、自分であることを認めていくことを望んでいます。それはとても微細な感覚で、小さなエネルギーの揺れですら疑問を抱くほどです。そして疑問をいだくとき、時として肉体を持って現世に降りてくるのです。
現世に近い場所にいる魂はこの法則で存在しています。たとえば「自分を責めている」魂などは、誰も傷付けることが無くても傷付いて、自らを滅しようとします。そうなると魂は自ら消えようとするので、地獄と言う場所が作られ、仕方なく責め苦を与えて自らを責める心のバランスを保たせているのです。
高次元の、たとえば守護霊や神様などはどうかと言うと、「自己を捨てている」魂だと言えます。ひとつであり、みなが同じ存在であるとしっかり体感したとき、高次元へと魂は誘われます。そこで高い次元の魂として生きていくことになり、私たちはそこを目指しているのです。