ありがたいと思うこと・守られていると思ったこと

どのようなものにも、守ってくださる存在はいるものです。わたしにも。あなた様にも。守護様という存在は、主なるもの・指導たるもの・補助たるものなどその役割と使命により変わってくるものです。白花にもそうした存在はいるものです。今回はそのちょっとしたお話をしたいと思います。

夢の中からのお告げ

夢も、ただの夢もありますし、知らせとなる夢もあります。それよりももっとメッセージ性の強く出ているお告げのような夢を見ることもあります。私は主となる方が夢の中でお告げ(メッセージ)のように話をされることがあります。

それは決まった場所へ向かい、そこに招かれて行くようなこともありますし、自分からそこへ行きたくて行くような時もあります。

平安調のお茶会のような和やかなところで、お茶やお菓子をいただきながら、大切な言葉をもらいます。「○○○はいかがいたすのじゃ」と気になる部分を的確に詰めて来られるので、あーそこは外したらいけないのだなとわかります。

また「○○○じゃのう」と言われる時はそのことに着目をしていくと道が見えてくるというものです。必ずなのは答えをおっしゃられないこと。答えは自分で感じて見つけていかないとなりません。決して安易なお告げではないので難しくもあります。

また時には夢の中で物をいただくことがあります。葉っぱや石や花やお菓子ですね。そのいただくものの中には意味のある文字が書かれていることもあるのです。そうしたものが後日に現実の中で手に取ることもたまにあるものです。>>夢のお告げや夢占いなら電話占いオラクルの馬車

神社で聞こえる声

感じる声といった方がいいのかもしれませんが、前からお願い事をしているようなもので、その答えとなるものをピンポイントで声のような音のような、脳内や体中で感じる言葉で答えをいただくことがあります。

特に名前を決めるときなどは、神社へお詣りし続けていくうちに決めることが出来ます。決まった後は迷うことはなく、その後に改めて願うことなど全く考えもしなくなり、その決めたことで大きな扉を開けたようになっていきます。

どのようなものでも一回だけ縁がつながればどうにかなるとかいうものではなく、日々の積み重ねとなる続きが必要です。生活でも、神様にお願いをするにしても、毎日の自分の志が問われてくるようです。

守っていただいていると感じたこと

昔事故にあったことがありました。路面凍結状態で対向車が滑ってしまい、数台衝突して巻き込んだものでした。その時物凄いスローモーションで先見をし「あそこに車がぶつかったら、対向車は橋の下に落ちてしまう」と視え、それは嫌だと思った時、私の車にその対向車がぶつかりその橋の欄干に刺さって止まることができ、橋の下に落ちずに済んだのです。

自分の車は壊れましたが、けが人等が出なかった事が何よりも良かったと思いました。その後はスムーズな処置で全て丸く収まり、大事にならずに済んで、これもお守りいただいたからだと感謝の気持ちでした。

このように何気ないところでも、またハッキリわかるところでも、お助けいただいていることは多々あるものです。

毎日を感謝の気持ちで暮らしていくことが、自分の道の安泰にもつながっていくのだと思います。あなた様も何かにお守り頂いていることはあるものですよ。感謝の気持ちに切り替えていくと、心が落ち着いて生活していかれるでしょうね。

 

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