霊視能力とは
霊視、というと霊が視える。霊と対話できると思われていますが、実際にはもう少し広義の意味が含まれます。霊と言うよりは御魂、神の意志などとの対話も含まれ、おおむね怨霊や先祖霊を呼び出すなどの行為は霊能的にはあまりレベルの高い行為とは呼ばれません。
スピリチュアルと呼ばれる分野ですと、神の意志や人としての生き方などを高次の魂から教わったりしますが、本来の霊視能力とはそういった、守護霊や高次の存在との交信が目的とされることが望ましいのだと私は考えます。
なぜならば、亡くなられた方は未だに修行されておられ、魂の故郷へ還ることを望み、現世の私たち同様にあの世で向上に励んでおられるのです。先祖の無念や、悪霊などとの交信はとても小さな目的であり、個人的なものです。
世界に対してその能力は発揮されるべきであり、そして使われるべきだと思うのです。もちろん霊媒体質の方などは狭義の悪霊や先祖霊との交信で救われることもあるので、すべてを否定しませんが、そういった使われ方はいわば「応急処置」として使われるべきなのではないかと多くの霊能者は考えています。
霊視でなにができるのか
それでは高次の存在、と言ってもそれはいったいどんな魂を指すのかが理解できないとなにを言っているのかが伝わらないと思います。私たちは元々、類魂(グループソウル)と呼ばれる「魂のふるさと」が存在しています。
それは誰にでも存在していて、たとえば「愛」に属する魂と、「自由」に属する魂などで集まっています。そこは親和性で出来ており、類魂の中では自分と言うエネルギーはすべて許され、すべてが調和がとれており、現世から見れば究極の平和を体現している世界だと言えるものです。
現世では、類魂から生じた「疑問」を解消するために、エネルギーのエッセンスとして魂が降りてきています。疑問を解消し、類魂に還ることが目的だったのですが、運悪く私たちは還り方を忘れてしまった魂たちなのです。
そこで類魂から様々なアドバイスを届け、ふるさとに還らせようとしてくれているわけです。そのメッセージを霊視で受けとるわけなのです。そこには人生の苦しみの意味を伝える意思や、または具体的な心の磨き方。苦難や喜びを与えて、ふるさとの感覚を思い出させることなど、人それぞれにさまざま教えが届いています。
具体的な能力向上方法
霊視能力はただ魂を向上させるだけで開いてきます。
それはつまり「生きている」こと自体が霊視能力の向上へとつながる行為だと言えるわけです。生きること自体に、守護霊様や高次の世界からのエッセンスが凝縮されており、一見不幸に見える出来事でさえも完璧な計画が含まれて進行しているのです。
しかし、ただ生きているだけで霊視能力が開花するかたは稀です。生きている、ということには「肉体を存続させる」ことが義務付けられています。そして多くの方がこの「肉体が喜ぶこと」に意識をフォーカスするからこそ、霊視能力よりも物質的な繁栄を求めてしまい、本来の魂の力から遠ざかってしまうのです。
では具体的に霊視能力をあげるためにはどうしたら良いのか?
それは「肉体の活動」から「心や魂の活動」へと人生をシフトすることです。
肉体は常に生存するための「欲」を持っています。食欲、睡眠欲、性欲などの三大欲求はその典型です。その他に人間関係や、自分の中にある激情の処理なども含めると、人はほぼ「肉体の声」で生きていると言えます。これを鈍くさせることで、魂の声が聴きやすい状態に誘うことができます。
たとえば座禅などの瞑想では、自身の心を鎮めることで、「肉体の声」を薄めます。心の中にある、怒りや悲しみなどの、自分でコントロールしづらい感情を抑えるのです。それにより、本来の心や魂の声が聴きとりやすくなってくるのです。
最後に
霊視能力とは自分のために磨くものであり、類魂や魂の世界のために活かせる能力だと言えます。自分が還り方を知るために、そして人にそれを伝えるためにあるものです。それは魂が本来もっとも望んでいることを最短距離で歩むことと言えます。
本来見えないものが視える、聴こえる、と言ったものが霊視だと思っておりますと、実はそれらは「肉体の欲を捨てきれない哀れな存在」だと言うことに気付きます。本当の幸せを知るためにも、本来の「喜び」に向かう魂の声を聴く能力を磨いていってほしいなと感じます。
そのためには、「自分が幸せを感じて生きる」こと。ただこれだけなのだと思います。